【書評】エーリッヒ・フロムの「愛するということ」は愛とは何なのかを理解できる本

この記事は 17 分で読めます。

初めに

 
こんにちは。ニャンチカです。
 
フロムの「愛するということ」を読んだので、
書評を書いていきますね。
 
 
 
 
「愛とは何なのか」
を理解できる本です。
 
巷の恋愛テクニックのような、
内容は書かれていませんが、
恋愛をする上では外せない”愛”について、
書かれています。
 
”愛”について詳しく書かれた、
唯一の名著といっても、
過言ではありません。
 
今後の恋愛や結婚生活にも、
役に立つ内容が満載です。
 
例えば、
付き合っている相手がいる人ならば、
今後長続きさせるために必要ですし、
 
結婚している方ならば、
夫婦仲を円満にするために、
絶対に役立つと断言できるほど、
いい本です。
 
あとは失恋した男女にも、
オススメです。
 
「愛って何なんだろう・・」
となった時に光をさしてくれるような、
本なんじゃないのかなと。
 
 
と前置きはこの辺にして、
書いて行こうと思います。
 
 

「愛するということ」(著者フロム)とは?

 
まず簡単に、
 
「愛するということっていう本は、
 どんな内容なんじゃ???」
 
ということで、
概要を書いていきますね。
 
 
 
「愛するということ」(原題:The Art of Loving)は、
 
ドイツの心理学者である、
「エーリッヒ・フロム」
 
によって1956年に出版されました。
 
 
 
ページ数は198ページで、
文字も大きめですし、
読みやすい本です。
 
 
「実際中身はどんな感じなの??」
と気になる方もいると思いますので、
写真を載せときました。
 
 
 
 
こんな感じです。
 
学術書や哲学書のように、
難解な表現や語句もありません。
 
なので意欲のある高校生くらいなら、
読めるんじゃないかと思います。
 
 

「愛するということ」はエーッリッヒ・フロムの名著

 
僕はこの本のおかげで、
 
「フロムが有名になったのでは?」
 
と思っています。
 
 
 
というのもこの人は、
社会心理学者であり、
かなりお堅い本を出しています。
 
 
他に出している本を、
少し上げてみます。
 
「自由からの逃走」
 
 
「正気の社会」
 
 
「悪について」
 
 
「希望の革命」
 
 
などなどかなり哲学的な、
テーマで本を書いています。
 
 
僕は自由からの逃走を読んだのですが、
「愛するということ」よりも、
格段に難しいです。
 
 
まず聞きなれない単語が、
たくさん出てきますし、
電車でさらっとは読めない本でした。
 
ちなみに自由からの逃走は、
こちらの本です。
 
 
 
 
自由からの逃走の文章を、
少し引用してみると、
こんな感じです。
 
 
個人的自我を絶滅させ、耐え難い孤独感に打ち勝とうとする試みは、
マゾヒズム的努力の一面に過ぎない。
 
もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。
 
その力は個人でも、制度でも、神でも、国家でも、良心でも、
あるいは肉体的強制でも、なんでもよい。
 
 
クソ難しくないですか?笑
 
 
 
僕は大学の授業でこれを読まされて、
泣きながら家で調べ物をしていたのを、
今でも覚えています笑
 
 
ですがこの「自由からの逃走」に比べて、
「愛するということ」は、
超読みやすいです。
 
さらりと読めます。
 
 
 
もしこの「愛するということ」が、
出版されてなかったら、
 
フロムという名前が、
一般に知られることも、
なかったんだろうなと思いますね。
(たぶん)
 
ただ他の本よりも簡単だから、
大したことのない本というわけではありません。
 
むしろ僕はこの本はかなり、
お気に入りですし、
名著だと思っています。
 
 
 

フロムの「愛するということ」はこんな人にオススメ

 
 
この「愛するということ」(フロム著)は、
誰にオススメかと言いますと、
 
 
スバリ・・・・
 
 
全ての人に読んでもらいたい本です。
 
 
もちろん中身は”愛”について、
触れられているので、
恋愛に悩む人がターゲットだと思います。
 
 
このあとも書いていくのですが、
 
・親子の愛
・兄弟愛
・自己愛
 
 
など男女の恋愛だけではなく、
様々な”愛”について、
触れられています。
 
なのでどんな人が読んでも、
学びになる内容が、
盛りだくさんなのです。
 

「愛するということ」を実践すればモテるのか?

 
 
「じゃあこの本を読めば、
 モテるんですか?」
 
という声が聞こえてきそうです笑
 
もしここに書かれている内容を、
マスターできたら真にモテる男に、
なれるでしょう。
 
 
そのくらい高度な内容です。
 
 
ただ、
 
「愛するという技術は一生をかけて、
 鍛錬してものである」
 
とフロムが述べているように、
1日2日ではマスターすることは、
不可能です。
 
 
ですが、
 
恋愛をするなら、
誰もが身につけておくべき、
必須の技術である。
 
と言うことができます。
 
 
 

「愛される」ではなく「愛する」ための本である

 
そもそもですが、
この本を恋愛テクニックや、
恋愛本と同じように、
考えてほしくはありません。
 
 
この本は「愛される」、
すなわちモテるための、
本ではないのです。
 
 
  
「人を愛するための本」なのです。
 
 
 
つまりこれは巷の恋愛本や、
恋愛商材とは真逆の内容になっています。
 
「どうやったらモテるのか?」
「何をしたらセ○クスできるのか?」
 
というような内容は、
この本では一切書かれていません。
 
もちろん僕は、
そのようなテクニックが、
大事だということについては、
全く否定しませんけどね。
 
だって綺麗事抜きに、
僕は色んな女性とセ○クスしたいし、
可愛い彼女が欲しい。
 
その目的を達成するためだったら、
 
別に恋愛テクニック使ったって、
恋愛本を読んだって、
恋愛商材を読んだって、
 
「別にいいじゃん!」
というのが僕の主張です。
 
 
でもですよ・・?
 
モテるための技術、
愛されるための技術だけでは、
恋愛ってなかなかうまくいかないんですよね。
 
 
例えば、彼女と長続きしたい時や、
夫婦で関係を良くしたい時。
 
恋愛商材や恋愛本というのは、
モテるための方法は知らせてくれても、
 
その後の付き合いについては、
ほとんど教えてくれません。
 
 
また結婚となると、
何十年も一緒にいるわけです。
 
そうなると、
どうやってその後の付き合いを、
うまくやっていくのかが大事になります。
 
 
 
しばらく一緒にいたら
 
「俺この人のこと本当に好きなのかな?」
「あれなんでこいつといるんだっけ?」
 
となることもしばしばです。
 
 
そうなった時に関係を修復できるかは、
恋愛テクニックを使うだけでは、
難しいものがあります。
 
自分の感じ方の問題なので、
それを変える必要があります。
 
 
 
つまり”愛”に対する、
向き合い方を変える必要が、
あるということです。
 
 

愛するということ(フロム著)のあらすじ

 
どんな流れになっているのか、
あらすじだけ少し説明していきましょう。
 
全部で4章からなっています。
 
第一章「愛は技術か」
 
第二章「愛の理論」
 
第三章「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」
 
第四章「愛の修練」
 
 
で何やら難しく感じるかもしれませんが、
この本で言いたいことは一つです。
 
「愛は技術である」
ということです。
 
 
愛は技術なんていうと、
 
「愛って恋みたいに、
 落ちるものじゃないの?」
 
と感じる方もいるでしょう。
 
 
ですがフロムはそれをきっぱり、
否定しています。
 
 
 
 
愛というのは「落ちるもの」ではなく、
「自ら踏み込むもの」である。
 
愛は受動的な感情ではなく、
能動的な活動である。
 
 
と本文中で、
述べられています。
 
つまり、愛するというのは、
 
「恋愛テクニックのように、
 意識的に行うことの一種である」
 
とフロムは言っているのです。
 
 
 
実際これを読んだときは、
僕もびっくりしました。
 
普通愛することを、
意識的に行うなんて、
考えませんからね。
 
 

愛するということの具体的な内容

 
これから、
「愛するということ(フロム著)」の
具体的な内容を書いていきますね。
 
でこの本なのですが、
ぶっちゃけ第一章と第四章だけ読めば、
OKな気がします。
 
もちろん第二章も第三章も、
大事なことは書いてあるのですが、
かなり話が細かいです。
 
「人間とは何か?」、
という部分にまで入り混んで、
説明していきます。
 
なので、書きすぎると、
少し混乱させてしまうかと思い
二章、三章は簡単に済ませますね。
 
 

第一章「愛は技術か」

 
愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。
それとも、愛は一つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題で、
運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。
この小さな本は、愛は技術であるという前者の前提のうえに立っている。
しかし、今日の人びとの大半は、後者のほうを信じているにちがいない。
 
フロムはこのような書き出しで、
文章を始めています。
 
しょっぱなから、
「愛は技術である」と言っていますが、
 
なぜ多くの人は愛を技術だと、
思わないのかという理由を、
3つほど書いています。
 
 
まず一つ目の理由は
 
「愛の問題=愛されるということ」
と考えているから、
 
というものです。
 
 
そして2つ目は、
 
「人々が相手ありきの対象の、
 問題として愛を考えているから」
 
というもの。
 
どういうことかというと、
 
「可愛い彼女がいたら、
 大好きになっちゃうだろうな〜」
 
という感じで、
愛することができるかは、
相手という対象によって、
決まってくるんじゃないの?
 
という考えです。
 
 
そして最後の3つ目は、
 
「恋に落ちる時の体験と、
 愛しているという状態を、
 混同しているから」
 
というものです。
 
とここまで、
愛は技術だと思われない理由を、
書いてきました。
 
ですがフロムはこれらを、
全面的に否定しています。
 
 
 
フロムによれば、
恋に落ちた時の体験と、
愛しているという状態は、
全く別物だとしています。
 
 
例えばなんですが、
 
付き合いたてのカップルとかで、
めっちゃイチャイチャしてる、
バカップルとか見たことないですかね。
 
でそのバカップルが、
お互いに初めてエ○チするときは、
無茶苦茶盛り上がると思うんですよ。
(たぶん)
 
でその時は男女二人とも、
心ときめく瞬間だと思います。
 
「幸せすぎてこのまま、
 天国に昇っちゃうんじゃないか」
 
みたいなアレです。
 
でその時に、
 
「俺(私)は猛烈に、
 この人のことが好きなんだ!」
 
「大好き!愛してる」
 
と思っちゃうはずなんです。
 
 
その頭に血が上った状態を、
愛の強さの証拠だと思い込むと。
 
 
 
でフロムは、
「それは愛じゃないよー」
と言ってるわけです。
 
 
「その恋に落ちた時のソレと、
 愛しているという状態は、
 全く別もんなんだよー」
 
 
「でもほとんどの人はそれを、
 愛だと思っちゃうんだよー。」
 
「だから愛は勝手に湧き出てくるもの
 だと思われがちなんだよー」
 
 
とフロムは続いて主張します。
 
そしてフロムは、
愛の技術を習得するには、
 
「愛の理論」と「愛の修練」
 
の二つが必要だと述べます。
 
 
ということで、
第二章では「愛の理論」を、
第四章では「愛の修練」について、
詳しく解説しています。
 
 
 

第二章「愛の理論」

 
この本の半分ほどが、
第二章の内容になっています。
 
また親子の愛、兄弟愛などについても、
書かれています。
 
「”愛”について語り尽くされた本」
といっても過言ではないと、
この章を見て理解できます。
 
 
 
また他の哲学者や作家、学者の言葉を、
引用しながら本文は進んでいきます。
 
親子の愛、兄弟愛、母性愛、
異性愛、自己愛、神への愛など、
 
愛の対象別に細分化されて、
書かれています。
 
 
愛の技術というよりは、
愛の形態について、
時代的背景や歴史を用いて、
説明しています。
 
 
 

第三章「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」

 
三章では、「愛する能力はその社会に影響される」
ということを述べています。
 
とりあえずこれは愛というものが、
時代によって変わってきたよ、
 
ということをまとめていると、
思ってもらえればいいです。
 
書かれていることは結構難解で、
愛の事態背景について、
書かれているので今回は割愛します。
 
 

第四章「愛の習練」

 
いよいよ最終章です。
 
愛の習練と聞いて、
「どんなテクニックが来るのか?」
とワクワクしている人にとっては、
残念なお知らせです。
 
 
ここではテクニックや具体的な技術は、
書かれていません。
 
 
 
それについてフロムは、
こう話しています。
 
今日たいていの人は「あなた自身はどうしたら良いか」を記した処方箋をもらうことを期待している。私たちが論じている問題で言えば「どうしたら愛することができるか」を教えてもらうことを期待している。このことが、愛の習練を余計に難しくしている。そういう気持ちでこの最終章にのぞむ人は、きっとひどく失望するに違いない。
 
 
フロムによれば、
 
愛することは個人的な経験であり、
自分で経験する以外に、
それを経験する方法はない
 
 
としています。
 
つまり
 
「愛するための方法は、
 愛することだけだ!」
 
と主張しておるのです。
 
 
 
ただフロムも、
「具体的な方法はないから、
 あとは頑張ってね」
 
というわけではなく、
愛する上での心構えについて、
いくつか触れています。
 
 
愛の修練に関する議論に何ができるかといったら、愛の技術の前提条件、
愛の技術へのアプローチの練習について、論じることだけである。
 
 
ここからはフロムが、
技術の習得に、
必要なものをあげています。
 
別にこれは愛に限った話ではなく、
どんな技術を習得にするにも、
使える話です。
 
それは
 
順に説明していきます。
 
 

規律

 
 
 
規則正しくやらなければ、どんなことでも絶対に上達しない。
「気分が乗っている」時だけやるのでは、楽しい趣味にはなりうるのかもしれないが、
そんなやり方では絶対にその技術を習得することはできない。
 
しかし、ここでいう規律の問題には、毎日一定の時間練習するといった、
特定の技術の修練における規律だけではなく、生活全般における規律も含まれる。
 
 
そしてフロムは現代人は、
仕事をしていないときは、
だらだらと怠けてしまい、
 
「規律」など持たなくなる。
 
と説明します。
 

集中

 
ここでいう集中とは、
選択と集中の”集中”です。
 
つまり、無駄なことはやめて、
技術の習得に専念するための、
集中が大事だよーということです。
 
 
誰もが一度にたくさんのことをしている。
本を読み、ラジオを聴き、おしゃべりをし、
タバコを吸い、食事をし、酒を飲む。
 
誰もが大きな口を開けて、絵だろうと、
酒だろうと、知識だろうと、
何でもかんでも必死に呑み込もうとしている。
 
 

忍耐

 
 
集中と同様に、忍耐が、
技術の習得に必要不可欠であることを、
フロムは述べています。
 
ただ現代人(僕たち)にとって、
忍耐を身につけるのは、
難しいとも言っています。
 
現代人は、なんでも素早くやらないと、
何かを、つまり時間を、無駄にしているような気になる。
ところが、そうやって稼いだ時間を何をしたらよいかわからず、ただ潰すことしかできない。
 
 

最高の関心

 
 
その技術の習得自体に、
そもそも関心がなければ、
習得することは難しいです。
 
それについてはこう述べています。
 
その技術を学ぶ前に、他の、しばしば関連がないように見えることをあれこれ学ばなければならない。大工の見習いはまず、気を平らに削るコツを学び、ピアノを習う生徒はスケールの練習から始める。弓道を習うものはまず呼吸法を習う。どんな技術であれ、それに熟達したかったら、自分の全生活をそれに捧げなければならない。少なくとも生活全体をその技術の修練と関連づけなければならない。
 
 
愛する技術に熟達したいと思ったら、まず生活のあらゆる場面において規律と集中力と忍耐の修練を積まなければならない。
 
 

一人でいられる能力

 
「じゃあ規律や集中力とか忍耐を、
 どうやって身につけるのよ?」
 
ということなんですが、
「一人でいられる能力」
が必要であると述べています。
 
 
集中力の習得において一番重要なステップは、本も読まず、ラジオも聞かず、タバコも吸わず、酒も飲まずに、一人でじっとしていられるようになることだ。実際、集中できるということは、一人きりでいられるということであり、一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための1つの必須条件である。
 
「一人でいられる能力を、
 身につけることこそが、
 集中力につながる」
 
とフロムは続けます。
 
 
 

敏感さ

 
自分に対して敏感でなければ、
集中力は身につきません。
 
疲れを感じたり、気分が滅入ったりしたら、それに屈したり、つい陥りがちな後ろ向きの考えに囚われてそうした気分を助長したりしないで「何が起きたんだろう」と自問するのだ。どうして私は気分が滅入るのだろうか、と。同じようになんとなくイライラしたり、腹が立ったり、また白昼夢にふけるとか、その他の逃避的な活動にふけったりした時もそれに気づいたら、自問するのだ。
 
 
それではいよいよここからは、
愛の技術の習練に重要なものを、
描いていきますね。
 

ナルシシズムの克服

 
フロムは「ナルシシズムの克服」が、
愛を達成するための、
”基本条件”としています。
 
ナルシシズムとは、
俗に言う”うぬぼれ”のことですが、
ここでは色眼鏡や偏見という、
意味を指しています。
 
 
 
「なんでナルシシズムが、
 愛の技術と関係あるの?」
 
という疑問が湧きますが、
フロムの主張を見ていきましょう。
 
 
ナルシシズムの傾向が強い人は、自分のうちに存在するものだけを現実として経験する。
 
狂気に陥った人や眠っている人は、外界を客観的に見ることが全くできない。私たちはみんな、多かれ、少なかれ狂っており、程度の差はあれ眠っているのであるから、世界を客観的に見ることができない。言い換えれば、ナルシシズムによって歪められた世界を見ている。
 
 
人間関係よくみられる歪みは、それほど極端ではない。いや、それほどはっきり外に表れないということだろう。世の多くの親たちは、子供の応対を、従順だとか、親として嬉しいとか、おやん自慢だとかいった風にしか受け取ることができず、子供が実際に感じていることに気づかないどころか、興味すら示さない。
 
 
周知の通り、こと相手が外国となると、どうしても客観的に見ることができない。相手国は堕落しきった極悪非道な国のように見え、一方自分の国はあらゆる善と高貴さを代表しているように思われる。
 
結局のところ、国際関係においても、人間関係においても、客観性はまれにしか見られず、相手のイメージは多かれ、少なかれナルシシズムによって歪められている、と結論せざるを得ない。
 
 
そしてナルシシズムを抜け出すためには、
客観的に考える能力である理性が、
必要だとしています。
 
つまりナルシシズムによって、
抱かされている相手のイメージと、
 
”相手のありのままの姿”を、
区別することが超絶大事になるわけです。
 
 
で、その際に客観性と理性が、
必要になってくると。
 
 
 

自分自身を信じる

 
”信じる”というと、
宗教的な要素を感じますが、
今回はそういったものとは無縁です。
 
フロムがいう信じるとは、
こういう意味を指します。
 
それに対して理にかなった信念は、大多数の意見とは無関係な、
自分自身の生産的な観察と思考とに基づいた、他の一切から独立した確信に根ざしている。
 
そしてさらにこの信じるについて、
こう語ります。
 
 
私たちは、自分の中に、一つの自己、いわば芯のようなものがあることを確信する。
境遇がどんなに変わろうとも、また意見や感情が多少変わろうとも、その芯は生涯を通じて着ることなく、変わることもない。
 
この芯こそが、「私」という言葉の背後にある現実であり、「私は私だ」という確信を支えるのはこの芯である。
 
 
自分の中に自己がしっかりあるという確信を失うと、「私は私だ」という確信が揺らいでしまい、他人に頼ることになる。そうなると、「私は私だ」という確信が得られるかどうかは、その他人に褒められるかどうかに左右されることになる。
 
要は信じることの重要性ですね。
 
さらにフロムは、
 
自分自身を信じている者だけが、他人に対して誠実になれる。なぜなら自分に信念を持っている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、従って自分が予想している通りに感じ行動するだろう」という確信を持てるからだ。
 
愛に関していえば、重要なのは自分自身の愛に対する信念である。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人の中に愛をうむことができる、と「信じる」ことである。
 
 
 

勇気

 
そして勇気が大事と説くフロム。
 
ここでいう勇気とは、
あえて危険を冒す能力を指し、
苦痛や失望も受け入れる覚悟です。
 
防御システムを作り上げ、その中に閉じこもり、他人と距離をおき、自分の所有物にしがみつくことによって安全をはかろうという人は、自分で自分を囚人にしてしまうようなものだ。
 
 
愛されるには、そして愛するには勇気が必要だ。ある価値を、これが一番大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値に全てをかける勇気である。
 
 
「いいこと言いますなあ」
と思って読んでいました笑
 
つまり、人は意識の上では愛されないことを恐れているが、本当は、無意識の中で、愛することを恐れているのである。
 
 
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろという希望に、全面的に自分を委ねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかしか愛することができない。
 
 
多分これが一番重要な、
ポイントじゃないかと、
僕は思います。
 
「エイヤッ」、
と声をかけに行く時と、
同じですかね。
 
色々有効なものはあるけど、
最後は勇気だよみたいな感じかと。
 
そしてそれと同時に、
「愛は能動的である」
とフロムは述べます。
 
 
確かに能動的なマインドを持たないと、
勇気も持てませんしね。
 
 

愛するということ(フロム著)の名言

 
ここからは僕が、
「これはマジで名言だろ」
と思ったものを、
紹介していきますね。
 
 性的な交わりは、ある程度、孤立感を克服する自然で正常な方法であり、孤独の問題に対する部分的な答えである。しかし、他の方法で孤立感を癒すことのできない人々の場合は、性的オルガスムスを追求することは、アルコールや麻薬に耽るのとあまり違わない。彼らにとって、セ○クスは孤立の不安から逃れるための絶望的な試みであり、結局孤独感を深めてしまうことになる。なぜなら、愛のないセ○クスは、男と女の間に横たわる暗い川にほんのつかの間しか橋をかけないからである。
 
 
これを読んだときは、
確かになあと思いましたね。
 
愛のないセ○クスをしたとしても、
孤独感は消えないという意見に対しては、
同意します。
 
じゃあナンパして、
セ○クスするのは虚しいのかというと、
全くそんなことはないと思います。
 
相手もホテルについてくる時点で、
それなりの好意はあっちにもあるわけです。
 
なので愛が全くないかというと、
そんなことはありません。
 
 
もし、自分の足で立てないという理由で、誰か他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、二人の関係は愛の関係ではない。逆説的ではあるが、一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。
 
 
これはマジで思いましたね。
要はお互いに依存し合っている状態を、
愛とは呼ばないということです。
 
 
 
 
資本主義社会では、物だけでなく愛においても、
「あなたが私にくれるだけ、私もあなたにあげる」というのが、最も一般的な倫理原則になっている。(中略)
 
もし現代の社会経済組織全体が、自分の利益ばかりを追求する個々人から成っており、自己中心主義によって支配され、公平の倫理によってかろうじて利己主義が抑えられているのだとしたら、既存の社会の枠組みの中で商売をし、行動をし、なおかつ愛の修練を積むことなど、果たしてできるだろうか。(中略)
 
確かに資本主義社会を支えている原理と、愛の原理とは、両立し得ない。
 
 
「よくわからん」と思った方も、
いるかもしれないので簡単にまとめます。
 
資本主義は自分の価値と、
相手の価値をしあうから対等ではある。
 
 
でも愛するってことはこちらから、
一方的に与えるってことじゃん!
 
価値の交換になってないじゃん!
これ今の世の中でやってることと、
全く違うじゃん!
 
となるわけなんですよ。
 
だから愛するというのは、
本当に難しいなあと僕も、
思ってしまいました。
 
 

愛するということ(フロム著)への評価

 
「愛するということ」ですが、
この本はやはり有名なようです。
 
NHKの「100de名著」という番組で、
取り上げられています。
 
 
しかもゲスト講師は、
翻訳者の鈴木晶。
 
 
 
「いやーこれは見たかったなあ」
と思わざるを得ません。
 
放送されたのは2014年2月と、
かなり前ですがやはりメディアでも、
注目されているようです。
 
 
 
 
 
 

「愛するということ」(フロム著)の弱点

 
”愛”についてひたすら語り尽くした、
傑作とも言えるこの本。
 
ですがこの本にも弱点はあります。
 
 
 
それは・・・・
 
 
愛の技術の習得方法が、
あまりにも難解すぎることです。
 
「愛するって結局どうやんのさ?」
 
「てかこれ無理じゃね・・」
 
とほとんどの人は、
なってしまうでしょう。
 
 
フロムは愛の技術の習得には、
 
「勇気」、「自分を信じること」
「ナルシシズムの克服」などを、
あげていました。
 
 
ですがこれって、
クソ難しいわけです。
 
フロムが言うように、
 
”一生をかけて習得するもの”
 
になるわけなんですよ。
 
「手っ取り早く、
 ノウハウを教えてくれ」
 
という人にとっては、
すこぶる相性が悪いものになります。
 
 
 

「愛するということ」(フロム著)のまとめ

 
「結局長すぎて何が、
 大事なのかわからんわ!」
 
という方のために、
まとめを作りました。
 
ここまでたくさん書いてきましたが、
これだけ覚えてもらえればOKです。
 
 
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろという希望に、全面的に自分を委ねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかしか愛することができない。
 
 
 
 
ということで非常に長い記事に、
なりました。
 
最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。
 




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僕は20歳まで「彼女いない歴=年齢」の童貞でした。
ですが、そんな僕が今ではナンパ師になって
色んな女の子と付き合ったり、エ○チできるようになりました。

・・・と、言っても怪しいですよね。。。

恐らく、昔の僕だったら
「絶対嘘だろwwwありえねえよwww」
とか思っていること間違いないですね笑

ですが、これは紛れもない真実です。

僕は対人恐怖症、女性恐怖症に悩まされていた時もありました。
またどんなに女性にアプローチしてもことごとく断られるというキモいやつだったのです。。

けど、師匠から教えてもらったナンパがきっかけで、
僕は短期間でナンパスキルを鬼のように伸ばしていき、
色んな女の子と仲良くなれるようになりました。
そうして僕はナンパ活動をしているのですが、本当によかったなと思っています。

この経験からどんなにもてずに苦しんでいる人も、
ナンパスキルを身につけることで、
女の子と仲良くなって彼女にしたりセ○レにすることはできると僕は確信しております。

コミュ障の僕はどのようにして、
ナンパ師になれたのか??その過程は以下の記事からどうぞ。

ニャンチカがナンパで女にモテまくって
ヤリチンになれた秘密


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